休職中ケアマネのゆるい暮らし

46歳男性既婚ケアマネがいろいろあって適応障害の診断を受けて仕事を休んで家にいる日常を綴ります。男性でそこそこがんばってきて、そこそこの年齢で、いったん立ち止まった人と共感できればいいなと思います。

玉名駅

90年代前半、Jリーグが始まるころ学生寮に一年くらいですがいたことがあって、2人部屋だったんですがその相手が森くんという2歳くらい年上の人だったんですが、一年間一緒の部屋で住んでいました。とても大人でしっかりした人でいろいろ教えてくれたり相談に乗ってくれたのを覚えています。森くんは熊本の玉名というところ出身で、そこは地域のつながりが強い土地柄らしく、出かける時は家に鍵をかけなくても大丈夫、みたいな話を聞いていました。なので他人のものでもみんなで分けるのが当たり前みたいで、僕の実家から送られてきた食料なんかも僕が部屋にいない間に勝手に食べちゃったりとかして、イライラ怒ったこともあったんですが、それは僕の価値観にないのでやめてほしいときちんと言うと理解してくれる分別もあって、コミュニケーションを取ればうまくやっていける関係になって、一人っ子の僕にとってある種の兄貴分のような存在でもありました。一年たってお互いその寮を出ることになり、連絡先は交換していましたが一回電話で話したくらいでそれほど連絡は取り合っていなかったのですが、2000年代に入りFacebookが始まって登録したところから僕を見つけてくれ、また交流が再開しました。交流と行っても会ったりせずアカウントが繋がっただけですが、繋がった時の第一声が地震の被害を心配してくれるメッセージでした。心配しよったけん様子がわからんし連絡せんかった、と。95年の阪神大震災の時、僕の住む大阪の自宅はかなり揺れましたが屋根瓦が揺れ落ちた程度で済み、被災者とならずにその後の人生を歩んできたのですが、森くんは95年から心配し続けてくれていたのでした。彼のその温厚さや情の厚さは相変わらずでこれが九州男児か、と本当にうれしく思いました。こんな人が学校の先生だったらいいな、と寮生活の時から密かに思っていたのですが、やっぱり学校の先生になっているそうです。その後僕が熊本に遊びに行った時は予定が合わず、16年の地震の時は真偽はわかりませんが被害はなかったとのことで少しだけお見舞いを送らせてもらいましたが会いに行きはせず、今回はコロナ禍だしなんとなく連絡するのも気恥ずかしい気もしたので会わずに帰りましたが、青春18きっぷの旅だったので、ようやく玉名駅を見ることができました。森くんは玉名は熊本・八代に続く第3の都市だと誇らしげに言っていましたが、びっくりするくらいのザ・田舎で、でも電車の中から見た駅舎は古いながらも趣のあるかっこいい駅で、改札の外に鐘が見えました。いつか会える日が来たら一体なんで駅前に鐘なんて飾ることになったのか聞いてみようと思います。

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鐘の写真は撮れなかった_| ̄|○