父を見送る
暑い日が続きますね。
このブログは会社員の時に適応障害の診断を受けて休職中の心情を綴ろうとはじめたものでした。書いたり書かなかったり読んでもらうためというより自分の考えを整理するという側面が強いブログですね。またポツポツ書き始めようと思います。
まず2024年の11月に父を亡くしました。50歳にして初めて親を失くす経験をしましたが悲しくて物事が手につかない、というよりは人はあるべきところに帰っていくのだというある種の納得感の方がしっくりくる感情で、そのまま葬儀の手配やら役所関係の手続きやらを乗り越えることができました。
父と同居していた母は24年の2月頃、自宅で背骨の圧迫骨折で動けなくなりそのまま入院することになり、父の面倒を見る人がいなくなったため父はショートステイに入居しました。6月ごろに母は退院しで老健に移動することになるのですが、そのタイミングで父も母と同じ老健で受けてくれることになり、両親とも同じ老健で過ごすことになったのです。
父にとってみれば完全なとばっちりでの老健入居でしたが、もともと母が圧迫骨折になる前は母が面倒を見ての生活だったので、やっぱり自宅に戻ることは難しかったと思います。
とはいえヨメも「お父さんがあまりにもかわいそう」と言ってくれたのもあり、私の家に父を引き取るべく、7月くらいから父のケアマネさんと相談して住宅改修の段取りをつけている間に9月ごろに私が新型コロナに罹ってしまったりして予定が伸び伸びになり、その間に施設での生活で父の運動量が減ってしまったのか嚥下が悪くなっていき、最後は肺炎で救急搬送されました。
父が救急搬送される日の昼過ぎにたまたま私と叔母が施設に面会に行っており、普段は撮らない写真を撮ったり私が子供の頃の話を少しできたのが救いでした。
父は大阪でオーケストラのビオラ奏者だったのですが、子供の頃私はたまに演奏会に聴きにいくことがありました。後ろの方の家族席ならタダで聴かせてもらえたのです。演奏会が終わると楽屋口で父が舞台衣装から普段着に着替えて出てくるのをぼーっと突っ立って待ち、その間に出てくる全然知らない父の仲間に「お大きくなったな!」とか言われるのをあんただれやねんと思いながらやり過ごし、父が出てきたら衣装カバンを受け取って一緒に帰る、というのがいつものコースでした。大阪の中之島にあるフェスティバルホールからドーチカを通って西梅田まで歩き、たまに西梅田のマクドで当時高級品だったマクドを食べさせてもらうのが子供の私は嬉しくてたまらず、そのことを父に伝えると「そうか」と特に表情もなく言いました。もう苦しくてそれどころではなかったのか、そんな昔のこと覚えていなかったのか、今となってはどうにもわかりません。その日の夕方施設から、サチュレーションが下がっているので救急搬送します、と電話があり、私が病院に駆けつけ、3日後に息を引き取り、前もって積み立ててあった葬儀社に父を引き取ってもらい、葬儀の打ち合わせをし、親族やら父の友人など連絡がつく人には連絡をし、葬儀を行い喪主の挨拶をし、火葬場でお骨を拾い、最後の挨拶をして解散して家に帰りました。
四十九日の納骨を行い、銀行口座を閉じ、遺族年金の手続きのための書類を集めて八王子年金事務所で手続きをし、生命保険の受け取りを行い、年が明け、なんとなくいつもの生活を送り、今日に至ります。
父に関しては学生時代にぶつかって少し口を訊かない時期があったりとかはしましたが概ね良好な関係を保ち、経済的にも困窮することなく大学まで出してもらい、私が結婚してからも孫の顔は見せられませんでしたが、国内・海外と旅行に行ったりできましたし、そんなに後悔はなく飄々とした気持ちでいます。
もし最後にまた少し私の家に引き取ることができて一緒に過ごせたら楽しかったかもと思うこともありますが全てが思い通りにならないのが人生ですし、人はこうやって生きこうやってこの世から去って行くのだと手本を見せてもらったと思っています。
舞浜の変化について
久しぶりにディズニーシーに行ってきました。
新エリアオープン直前にあえてです。
2泊3日の予定で、日曜の午後に出て月曜にシーで遊び、翌朝朝食を食べて帰ってくる贅沢プランです。
いつも通り自宅を出て横浜青葉インターからK7K5を通り大黒ICから湾岸線に入り羽田空港・フジテレビを通過し浦安ひとつ前の葛西で降りて首都高と並行した下道で江戸川を渡り千葉県に入ったところでグリッとUターンして舞浜駅へ方面へ。旧サンルート裏の気持ち良い海沿いの道を走り、一本目を左に入ったところがわがヒルトン東京ベイです。ご存知の通りヒルトン東京とヒルトン東京ベイは別ホテルで、ヒルトン東京は東京都新宿区で、ヒルトン東京ベイは千葉県浦安市です。
ホテル前のディズニーリゾートラインのレールを挟んで向こう側にはディズニーファンタージースプリングスという高級ホテルが6月の開業を前にもう完成しており、関係者などの招待客の受け入れが始まっているようでした。
我々がいつもお世話になることが多いヒルトン東京ベイはスタッフさんのイイ人率が高い気がしており、それはチェックインのスタッフだけではなく客室を整えてくれるスタッフも笑顔で対応してくれる人が多く、毎回「あー楽しかったまた来れるようにがんばろう」と思いながら家路に着くことができるからです。また上級会員になる方法はいくつかあるのですが、上級会員になると部屋のアップグレードと宿泊日数分の朝食と駐車料金がタダになることが大きいです。確かに外部の予約サイトを通した方が安くなることもあるでしょうが、この通り私はヒルトン東京ベイにどっぷり惚れているので、この先のディズニー人生で多分浮気はしないでしょう。浮気相手(ホテルね)を探すホテルホッピングは30代で十分しましたし、めんどくさいことはしたくないからです。
ヒルトンのホテルスタッフのイイ人率という意味ではマリオットを上まわるのではないかとさえ思っています。年間2回くらいしか利用しないライト層ですが、その貴重な2回だからこそ厳しい目で見ちゃうところがあるので、特に上級会員になったくらいでは朝食さえつかない改悪をしてしまったマリオットボンボイ(ボンヴォイ?)は5年くらい使っていたクレカを解約してしまいました。SPG時代は更新しただけで一泊無料宿泊券がもらえて本当に最高でしたね。今となっては伝説です。
それにしても若い人が多いですね。20代の女の子の多さがとても目立ちます。若くて稼ぐ人向けのパークに変わりつつありますよね。
ビッグバンドビートの終了とかコロナを境にいろいろな変化を痛感せざるを得ません。
もうしばらく通うかもですが、子がいない我が家では頻度は下がるかもですね。
目的
今日も今日とて例のスタバでこれを書いています。
自宅に1人でいると何かしら煮詰まってしまう時もあり、そんな時は横浜まで出て横須賀線のグリーン車でビールを飲みながら千葉駅まで行き、駅ナカの富田麺業でつけ麺を食べて帰ってくるプチ旅行が小さな楽しみな夏でした。結局18きっぷを使わなかった夏でしたね。見よう見まねで個人で仕事を始めてから随分経ちますがなかなか前職の手取りを越すことはできていません。健康保険やら社会保険の半分を会社が負担してくれることがどれだけありがたいことか!痛感せずにはいられません。
商売とは改めて言うまでもないことですが、売値から仕入れを引いた利益が収入になるので、仕入れ額が大きければ大きいほど売値も利益も大きくなるに決まってますから、大資本を用意できるかどうかにかかっているわけです。私は大資本はありませんし、人を雇って会社を大きくする力はないと思っています。社会に貢献する気もそんなにないので、身の丈にあった収入が得られればそれでヨシです。
今年に入って同世代で社会の中心で活躍するような友人が2人、もう癌で去ってしまいました。2人とも正月には全然元気だったのに、です。2人ともそれぞれの会社で中心人物でしたし、世代的にもそういう世代です。
私は在籍していた会社でそんな中心人物にはなれなかったし、これからもなれそうになかったので、会社を去って自分の戦場を探して、少しですが収入を得られるようになり、それで満足はできていませんが納得はしています。
その2人は納得して去っていったのかはわかりませんが、このまま50代、60代を迎えられると思っていたのではないでしょうか。
今年に入り私の母が自宅で転倒し、骨折し、治療するために2ヶ月間特養にショートステイ利用していたことは前回書いた通りです。その自宅に戻ってきた数ヶ月後に買い物途中の道ばたで熱中症で座り込んでしまい、通りがかりの方が救急車を呼んでくれ、救急搬送されるということがありました。この時も点滴を打つだけで自宅に戻れましたがそれは運が良かっただけで、そのまま入院し状態が悪化し自宅に戻れなかったケースなど十分考えられたと思います。
言いふるされた言葉ですが今日と同じように元気に明日が迎えられるとは限らないわけです。今は考えにくいですが、一旦出かけた先で怪我や事故で入院したりして、そのまま自宅に戻れなくなる日がくるかもしれないし、逆に無事に自宅で最後を迎えられるのかもしれません。コロナ禍が予想できなかったように先のことはわからないので、やっぱり今日やりたいことは今日やる、できる範囲で行動してそれで満足できればそれでよし、とは思いますが人間そんなに思い通りにはいかないのでついついだらだらゲームなどして無意に過ごしちゃいますよね。やはり必ず出勤して会社などで管理される必要は私にはある程度必要なのかも、と思ったりします。
親の介護は続く
母親の右手首骨折により、父と母が4月3日から特養のショートステイを利用し、から5月31日に自宅に戻ってきました。
6月は自宅で過ごす体制を整えるべく家族のキーパーソンとしていろいろ動きましたよ愚痴ブログです。
母の骨折時の介護度は要支援2だったので使える介護サービスを増やすべく区分変更して要介護2、にめでたく?ステップアップです。訪問介護とデイサービスを週に2回づつ利用して入浴と保清をしてもらうことになり、とにかく一ヶ月が経ちました。
父と同じデイサービスに通っているのですが、そこのスタッフはかなり細やかな連絡をくれ、母のつま先の赤みなど皮膚トラブルに気づくとすぐ電話をくれるのでこちらもすぐ受診して結果をフィードバックしています。
父は性格的に穏やかに過ごせるタイプなので、利用を開始して2年ほど経ちますがほとんど連絡が来たことがなかったのですが、性格のきつい母は何かと連絡が来るので、デイ側も家族と連絡を密にとっておいた方がいいタイプと認識しているのかもしれませんね。
キーパーソンである私は今までの経緯からして全面的にそのデイサービスを信頼しているので、これからも継続して利用できるよう母には周りと調和して過ごしてもらいたいものです。
父は物覚えがだんだん悪くなってきたりなどの変化はありますが特に気になるほどの変化はなく穏やかに過ごしていますが、母は感情的になる場面が多くなってきました。あと面倒くさいことをやらなくなってきており、就寝時にパジャマに着替えることをしなくなっているようで、日中の暑さで汗臭い服のまま休んでいるようで、こちらで声掛けして着替えを促さないと自発的に着替えなくなってしまいました。洗濯に関してはとくにこだわりがあって、あえて二層式の洗濯機を取り寄せて使っており、必ず庭に干して天日干ししていましたがそれすらも面倒になったようで、洗濯物は私が全て回収して自宅で洗濯・乾燥して実家に返却するシステムに変わりました。
親の介護はまあまあ戸惑いますがこんなペースで進めていっていますよ!
広島
特に変化のない毎日を過ごしています。
前回のブログの通り母の手首の骨折をきっかけに両親とも特養のショートステイで今月五月いっぱいまで過ごす予定は変更なしです。父は母の巻き添えを食った形になり気の毒ですが父を一人自宅に残すわけにはいかないので仕方ありません。自宅に戻った時のために玄関から門まで続く手すりを介護保険の住宅改修を使って設置済みです。母の手首は順調に骨がくっつきつつあるとの診断でした。自宅に帰った後は一日おきに介護保険サービスを受けられるようにケアマネさんと調整をしています。
先日二泊三日で妻と広島に旅行に行ってきました。広島は大阪府の小中学生が修学旅行で行くものと思っており、私も行ってきたのですが大阪南部出身の妻はそうではなく、行ったことがないとのことだったのでお馴染みマイルを吐き出しての旅行です。平和記念公園、原爆ドーム、厳島(宮島?)、広島城、流川町と鉄板コースしかまわらない旅でした。二十代の後半に私が大阪でサラリーマンをしていたとき、広島出張が月に2回ほどあった時期があったので広島の町の全体像はなんとなく覚えていました。当時は広電はICOCAは使えたけどSuicaは使えなかった謎仕様だったなあとかバッケンモーツアルトという洋菓子屋のクッキーがおいしかったなあとかおたふくソースは甘すぎでカープソースの方が口に合うんだよなあとか行きの飛行機の中でいろいろ思い出しながら行きましたが、広島空港に着くと空港から街中までサミット前の厳戒態勢一夜前、というものものしい雰囲気に驚きました。泊まったホテルは外資系だったのでサミット期間中は本国の要人が泊まるのでしょう、ホテルの建物周辺を誇張ではなく電柱一本ごとに警官がいるんじゃないかという間隔で、まるで城を守るが如く配置されていました。奈良や和歌山でいろいろあったので今回は日本の威信にかけてなにがなんでも無事に終わらせるという政府の気迫のようなものを感じました。ホテル自体はゴールデンウィーク後のサミット前、という底の時期だったので格安で泊まれ、空室もあったのか部屋のアップグレードもありました。外国からの観光客や国内の修学旅行生もホテル内、広島の街中、厳島とコロナ前のようにたくさん見られました。夜は流川の良さげな寿司屋に入ったのですが、大将のはなしでは繁華街はなかなか人の流れは戻ったと言えるほどではないようで、平日の夜は席も二回転もすればいいほうとのことでした。サミット期間中はさまざまな交通規制が入り、とくに飛行機は減便はないものの、空港からのバスやタクシーは規制されるので空港から広島市内に入るのが難しくなり、地元の人に迎えにきてもらうとかしかなくなる、とのことでした。瀬戸内の魚を使ったお刺身やお寿司はとてもおいしく、地酒もすすんでしまったので、2人で26000円払って千鳥足でホテルに帰りましたとさ。
突然の親の介護
3月22日に77歳の母が自宅で転倒し、手首を骨折しました。父と二人暮らしで、父はその時デイサービスに行っていたので不在で、母は廊下に置いていたジャガイモの箱を持ち上げようとしてよろめいて転倒し、前に転び、右手を床についたようです。鼻も打っており内出血をしていました。私は外出していたのでヨメが受診のためにクルマを出してくれ、整形外科と耳鼻科に付き添ってくれました。外傷はそれほどでもなかったのですが、やはり利き腕の右が包帯でぐるぐる巻きで使えないため、料理や洗濯などの家事がほぼできなくなってしまいました。
私は車で10分ほどのところに住んでおり、一人息子なのでそのままキーパーソンとなり、その日から全ての決断をすることになりました。
自宅の浴室で、私が母の入浴介助をした時は少し思うところがありました。10年以上も介護職だったので入浴介助はそれなりの自信はありましたが、身内の介助は初めてたっだからです。母の髪を洗いながら子供の頃ぶりに見る母の体は背骨の傾きがあり、それなりにシワシワで、施設勤務の頃に見慣れた利用者様たちとあまり変わらない体になっていました。
食事は宅配弁当を頼んでみたもののお米が口に合わない、とのことでおかずだけ注文し、ご飯は無洗米を自宅で炊くことにしたようです。デイサービスも週に一度通うことにし、食事と入浴と骨折したところの包帯の交換をお願いすることにしました。訪問介護も週2回に増やしてもらうことができました。
それなりの体制を整えて自己満足に浸っていましたが、母の精神状態が不安定になってしまい、早朝などに私や叔母(母の姉)に電話をかけてくるようになりました。内容は「なんか不安だから来て」「いますぐきて欲しい」といった内容です。何度かは駆けつけましたが、私も叔母もそれぞれやることがあるため、すぐに対応できないこともあるので、手首が治るまでショートステイを利用することにしました。
運よくすぐに受け入れてくれるところが見つかり、4月3日から15日まで近くの特養のショートステイに父と母と2人とも利用しています。いまのところ特に施設から連絡はないので、穏やかに過ごしているようです。
私が特養で働いている時はショートステイのユニット勤務だったので、受け入れ業務を1日に何人も受けていましたが、とうとう親を送り出す側になりました。特に感慨深いとかはなく、飄々とした気持ちです。
送り出す前日に親の預金通帳、介護保険証、健康保険証、マイナンバーカード、クレジットカードなど大切な物を預かるときは、母はこんなに早く受け渡すことに戸惑っていたのでしょう、少し涙ぐんでいましたが、私はそのうちこんな日が来ると思っていたので、落ち着いた心境で、冷静に受け継ぐことができました。
希望としては母の手首がある程度治り、最低でも自宅で食事の準備ができるようになれれば自宅での生活に戻ってもらいたいと思っていますが、先のことはわかりません。ケアマネさんがとてもレスポンスの良い方で本当に良かったです。両親は本当に運が良く、今まで大きなトラブルに巻き込まれない人生を送ってきましたが、その運の良さは晩年まで続いているようです。