休職中ケアマネのゆるい暮らし

46歳男性既婚ケアマネがいろいろあって適応障害の診断を受けて仕事を休んで家にいる日常を綴ります。男性でそこそこがんばってきて、そこそこの年齢で、いったん立ち止まった人と共感できればいいなと思います。

介護の神様

介護の仕事から離れるにあたり、どうしても書きたい人がいます。

もしかしたらぼくの介護の神様かもしれないと思う人がいます。

その神様の名前はよしえさんといいます。

よしえさんは僕が二番目に働いた有料老人ホームの入居者さんでした。

ホームに入居される前は世田谷でご主人と暮らしていて、ご主人を亡くされてからは1人暮らしで、いつしか体を悪くされてからは寝たきりになって、助けてー助けてーと自宅の寝室で叫んでいるところを民生委員さんに発見され、福祉サービスにつながったそうです。動けなくなって何日叫び続けていたかもわからず発見時に枕元にキャラメルの包み紙が何枚かあったことから、それを舐めて命をつなげていたようです。

有料老人ホームに入居してからも助けてー助けてーと本当に一日中くりかえして言っていたのは、民生委員さんが発見するまで何日間も叫び続けていたなごりなのかもしれません。

よしえさんは常に助けてー助けてーと叫んでいるので、僕の中ではうるさく厄介な人でした。そばを通ろうとするとさびしくて僕のエプロンを掴もうと手を伸ばすので、ちょっとよしえさんを迂回して通るほど厄介者扱いしていました。

夜勤の時も助けてー助けてーと続くので個室であるのを良いことに部屋に入れっぱなしにしていたこともあります。もう歩けなくて車椅子移動の方で、寝かせればそんなに動かなくて、転倒転落のリスクはそんなになかったのをいいことにずるく手を抜いていました。

とにかくうるさいよしえさんは手のかかる厄介者でしたが、時々言葉のセンスが鋭い時があり、僕が新しいTシャツを着て行った時など「それいい色だね」とほめてくれる時がありました。いま考えると色彩感覚に優れたというか、色に関することにいろいろ反応してくれていたと思います。ちょっとうれしかったです。

夜勤で夜明けのときに、「ああ今日はいい天気だね」「いい朝焼けだね」と2人で日の出を見たりして、そんな時は回路がつながり話ができる時があったのです。お子さんを小さい時に亡くしていること、それからご主人と2人だったことなど少し話してくれました。時が経ちうちも同じく子供を亡くしたりして、ようやく気持ちがわかるようになりました。その時は若くて未熟でどう答えればいいかわからなかったのです。

やはり日中は助けてー助けてーと繰り返しうるさいので厄介者でしたが、そんなこんなでちょっと好きになって来ました。

よしえさんには家族がいなかったので、後見人として司法書士さんがついていました。よしえさんは人がいいので、民生委員さんもよく司法書士さんまで繋げてくれたんだと思います。その後見人の司法書士さんもいい人でカンファの時だけでなくちょいちょい面会に来てくれ、正月の面会が多い時なども周りに面会が来ているのによしえさんだけ面会が少ないのは寂しかろうと、元旦に来てくれたのには驚きました。当時は後見人制度のはしりの時期だったので、司法書士さんも義務感で後見を受けてくれたのかも知れませんが、やはりよしえさんの徳の賜物だと思いました。

普段会話もできず助けてー助けてーを繰り返してばかりのよしえさんでしたが、ある日のカンファでその司法書士さんとよしえさん担当介護士のぼくは、住んでいた家を見に行けないか、という話になり一時帰宅の計画を立てることになりました。施設のミニバンを借り、荷物スペースにポータブルトイレと車椅子を積み、施設から東名高速を通って世田谷まで、運転は僕で、助手席に司法書士さんが座って道案内をしてくれることになりました。

書いているうちにその司法書士さんの名前を思い出せないか考えていましたが、確か前田さんだったと思います!

さて当日、ハンドルにしがみつくようにして慣れない道を運転し、世田谷のよしえさんの家までなんとかたどり着くと、近所の方が出てきてくれ、よしえさんを迎えてくれました。その前田さんが民生委員さんや近所の方に前もって一時帰宅のことを連絡をしてくれ、迎えてくれる段取りをしてくれていたのです。

車からよしえさんを降ろし、車椅子に移乗させると、民生委員さんやご近所さんがよしえさんを囲んでくれました。よしえさんのうちは住宅街の中にある二階建ての古い家で、庭には大きな木があり、表札にはよしえさんのご主人らしき名前が書いてありました。ぼくはよしえさんを囲んだ輪をちょっと離れたところから眺めていました。久しぶりね、元気だった?雑談に花が咲いているようです。ふだん施設では助けてー助けてーしか話せないよしえさんですが、この時はちょっと回路がつながって、何か話しているようでした。

やっぱりよしえさんはみんなに愛されていたんだなあ、とぼーっと家と庭を眺めていると、ご近所さんのひとりがよしえさんにふと尋ねました。「今日どうやってきたの?」と。

よしえさんが答えました「田中さんがね、連れてきてくれたの」。

脳天に雷が落ちるとはこのことでした。よしえさんはぼくの名前を知っていたこと。前田さんとぼくがここまで連れてきたことを知っていたこと。全部知っていたこと。でも今まで回路がつながっていなくて話せなかったということ。

今まで名前で呼ばれたことなどありませんでした。名前を知っているとも思っていませんでした。よしえさんのことを一日中助けてー助けてーをくりかえすやっかいな人だと思ってさえいました。でもよしえさんはぜんぶわかっていました。

この事実がどういうことかをうまく書くことができませんが、よしえさんはいいことも手を抜いていたこともぜんぶ見透かしていたんだと思いました。

それから何年かして、よしえさんは施設で亡くなりました。さらに何年かしてぼくはよその施設に移りました。さらにいくつかの施設を渡り歩き、今月末で福祉の仕事から去ろうとしています。

介護のしごとは人に寄り添い護ること、とかつての上司が教えてくれたことがあります。

なかなかいつもそれができる介護士にはなれませんでしたが、つらい時にはよしえさんには見られている、ぜんぶバレている、とことあるごとに思いながら、よしえさんに恥ずかしくない介護をしてきたつもりです。

いつかよしえさんに報告できる日が来たら、ちゃんとお礼を言いたいです。

なんとなくですが、そんな日が来る気がしています。

ぼくの介護の道の最後に、この話が残せてよかった。よしえさんありがとうございました。