休職中ケアマネのゆるい暮らし

46歳男性既婚ケアマネがいろいろあって適応障害の診断を受けて仕事を休んで家にいる日常を綴ります。男性でそこそこがんばってきて、そこそこの年齢で、いったん立ち止まった人と共感できればいいなと思います。

生まれ変わり

開業届を出してきました。

1月6日は天赦日と一粒万倍日を兼ねた吉日ということだったので、この日を選びました。

望んでケアマネになったのに、合わずに適応障害になり休職し、休職ののち退職し、無職になってからの再出発です。この2年近くの時間、自分なりにトライアンドエラーを繰り返しようやくスタートラインに立った気持ちです。

まえの会社の人たちや、家族にもずいぶん迷惑をかけてきた人生でした。どうやっても取り返せませんがなんとかがんばって生きていることを文章化する場としてこのブログはもう少し続けようと思います。

開業届に書いた職業は通信小売業とし、仕事内容は各種商品の輸出入及び販売、と書きました。

屋号の丸柳文庫の丸柳は、母方の屋号からとり、文庫は私が本が好きなので、○○商店や○○会社に代わる名称をつけたかったので文庫としました。

子供がいないので私の両親を見送ったあとは私と妻とが2人生きていけるだけの収入を得られればいいと思っています。それさえもできなければ廃業してアルバイトをすると思いますが、一生は一回だけなので48歳のいまのうちに挑戦しようと思ったのです。

16年続けた介護の仕事は嫌いではなかったと思いますが、どこか傲慢だったと思います。ときどきうれしいこともあり、恥もいっぱいかきました。周りに呆れられたこともありました。はじめの頃はタバコも吸ってたっけな。家庭では家族の病気のことで一日一日が精一杯だった時期も長く、助けの求め方もわからず抱え込んでしまったこともありました。結局子供のいない人生を選び、妻と2人で生きていくことを選び、介護の世界から去ることを選び、今日からもやっぱり自分で選ぶことを選びました。

自分の選んだことが誰かを幸せにしていたら僕も幸せになります。商品選びや梱包や発送をそういう気持ちでやります。介護もときどきはそういう気持ちでやっていたと思います。今日から生まれ変わりです。